般若姫物語 抜粋

般若姫の母、玉津姫と、父、小五郎の話

 昔、奈良の都に玉津姫という姫がいました。美しく、優しい姫の噂は都中で知らないものはいないほどでした。ところが、年ごろになったある日、突然顔や体に黒いあざができてしまいました。

 あざのため結婚することもできず、姫や家族は嘆いていましたが、ある日出会った老翁に「大和の国三輪の明神に願をかけなさい」と言われ、わらにもすがる思いで祈ることにしました。すると満願の夜、明神様が枕元に現れ、「あなたの夫となる人は豊後の国の炭焼き小五郎です」とお告げをくださいました。

 思いもよらないことでしたが、姫はお告げに従い旅にでました。長く辛い旅の途中、侍女達は病に倒れ、人にさらわれ、ついに姫は1人きりになってしまいました。途方にくれて山を越えてゆくと、くずれかかったわらぶき小屋の前にたどり着きました。小屋には顔も手も墨で汚れ、ぼろぼろの着物を着た男が住んでいました。この男こそ小五郎でした。

般若姫の誕生

 神様のお告げで嫁に来たという姫の言葉に、始めは戸惑った小五郎でしたが疲れ切った姫の様子を見て、嫁に迎えることにしました。

 お腹を空かせた姫のため、小五郎は姫から預かった砂金を片手に、里へおりていきました。途中、、小五郎はオシドリを見つけました。晩のおかずにしようと考え、砂金の入った袋を投げつけましたが、袋は淵の底に沈んでしまい、オシドリも逃がしてしまいました。

 手ぶらで帰ったことに驚き泣く姫の様子を見て、小五郎は「あの光る石なら谷にゴロゴロしている」と姫を連れて谷へ行きました。なるほど、谷は砂金であふれかえっていました。そしてその淵の水で手や足を洗うと、不思議なことに姫のアザは消え、小五郎も美男子に生まれ変わりました。

 ふたりはこの谷の黄金でみるみるうちに大金持ちになり、龍宮にお願いして可愛らしい女の子も授かり、幸せに暮らしました。

般若姫の結婚

 般若姫と名付けられた女の子は優しい長者夫妻のもとですくすくと美しい女性に育ちました。姫を嫁に、という申し出はあちらこちらからありましたが、長者夫妻は決して手放そうとしませんでした。

 やがて、遠い東の国から来たという若者が長者夫妻のもとを訪れました。若者の素晴らしい笛の調べに感嘆した長者夫妻は山路と名付け、牛飼いとして雇うことになりました。山路はまじめでよく働いたので長者夫妻もすぐに気に入りました。
ある日、般若姫はひどい病に倒れました。この病を治すための難題をこなすことができそうなのは山路ただ1人でした。山路は無事事をなし終えたあかつきには、姫と結婚したいと長者夫妻に願い出、病が治るならと承諾した長者夫妻の目前で見事姫の病を平癒させました。

 実はこの若者の正体は時の欽明天皇の第四皇子でした。皇子は都にまで届く般若姫の噂を聞いて、ぜひとも后にしたいと思い、誰にも告げず、1人豊後の国を目指してやってきたのでした。

 若くたくましく、気高い雰囲気をもつ山路に、長者夫妻はついに結婚を許し、般若姫と山路は幸せな日々を過ごしました。

般若姫の最後

 やがて子どもを身ごもり、穏やかな日々を暮らしていた2人でしたが、都から皇子を連れ戻すための使いが訪れ、皇子は都へ帰ることになりました。
別れを惜しんで皇子は旅立ち、やがて姫には女の子が生まれました。女の子なら豊後の国に残して跡を継がせなさいという皇子の言葉通り子どもを託し、般若姫は后となるため都へむかう旅に出ました。

 船団を組んで出発した般若姫一行でしたが、始めこそ天気も良く穏やかな船旅だったものの、進むにつれて嵐や奇怪な出来事にさいなまれ、多くの家臣を失ってしまいました。あるものは父を、あるものは同僚を失い、互いに嘆くさまを見て、般若姫は多いに悲しみ、心身ともに弱っていきました。

 大畠灘でついに寝込んでしまった般若姫は、思い悩んだ末、ついに海に身を投げてしまいました。一度は助け出されたものの「あの山に私を埋めてください」と言い残して亡くなってしまいました。

 残された家来たちは悲しみにくれながらも遺言のとおり、般若姫の墓を作って葬りました。後に般若寺としてこの菩提所は人々から参詣されるようになりました。

この後、豊後の国に残った長者夫妻の話などが続きます

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